パフォーマンスアートと組織変革——プロセスに身を置くことが変革を動かす
マリナ・アブラモヴィッチがMoMAで75日間座り続けた「アーティスト・イズ・プレゼント」は、完成した作品ではなく「いる」ことそのものが芸術だった。ヨーゼフ・ボイスが荒野で過ごした7日間がそうであるように、パフォーマンスアートは「プロセスに身を置く」ことを価値の核に置く。この発想が、組織変革の実践においてどんな示唆を持つのかを論じる。
組織変革のプロジェクトには、ある共通のパターンがある。「現状(As-Is)」から「目標状態(To-Be)」への移行を設計し、ロードマップを描き、コミュニケーションプランを作り、KPIを設定する。変革は「設計されるもの」であり、「実行されるもの」だという前提が、このアプローチを支えている。
そして多くのケースで、変革は計画通りに進まない。人々が変わらない、文化が変わらない、言葉は変わるが行動は変わらない——こうした壁にぶつかる。
パフォーマンスアートは、全く異なる前提の上に立つ。プロセスそのものが作品であり、完成した状態への移行は問いの対象にならない。「どこに向かうか」より「今、何に身を置いているか」が問われる。
アーティスト・イズ・プレゼント——存在することが伝える
2010年3月から5月にかけて、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でマリナ・アブラモヴィッチの回顧展「アーティスト・イズ・プレゼント(The Artist is Present)」が開催された。
展覧会のタイトルは同名のパフォーマンス作品にちなんでいた。アブラモヴィッチは会期中、毎日美術館のアトリウムのテーブルに座り続ける。向かいの椅子に座った来館者と、無言で向き合う。それだけだ。
パフォーマンスの合計時間は736時間30分に及んだ。何千人もの来館者が向かいに座り、多くの人が涙を流したという記録がある。アブラモヴィッチ自身は何も語らず、何も行わず、ただそこにいた。
「ただそこにいる」ことが、なぜ人を動かしたのか。
アブラモヴィッチがこのパフォーマンスで探求していたのは「現前性(presence)」の力だ。ひとりの人間が、全ての注意を向けた状態で「ここにいる」こと——それそのものが何かを伝える。説明せず、説得せず、ただ向き合う。
ビジネスの世界では、リーダーシップの「現前性」は時折語られるが、多くの場合「存在感」という漠然とした言葉で済まされる。アブラモヴィッチのパフォーマンスは、現前性を巨大なスケールで実験した記録として読むことができる。
ヨーゼフ・ボイスの「社会的彫刻」——変革はどこで起きるか
ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)は1974年、ニューヨークのルネ・ブロック・ギャラリー(René Block Gallery)で「アイ・ライク・アメリカ・アンド・アメリカ・ライクス・ミー(I Like America and America Likes Me)」を実施した。
フランクフルトからニューヨークへ移送される際、ボイスは毛布に包まれて飛行機から病院車へ、そしてギャラリーへと直接運ばれた。ギャラリーの中では、アメリカのコヨーテ一匹と3日間を共に過ごした。コヨーテは、ネイティブアメリカンの文化では神聖な存在だ。
ボイスはコヨーテと格闘しも支配しもせず、ただ共に空間を共有した。毛布をまとい、杖を持ち、藁の上に横たわり、時に立ち、コヨーテの動きに応じた。3日後、再び毛布に包まれてギャラリーを出た。
このパフォーマンスで何が「完成した」のか。答えは「何も完成しなかった」だ。ボイスが試みたのは、支配でも解決でも変革でもない。異なるものとの「共存の場」を作り出し、その場の中に身を置くことだった。
ボイスは「社会的彫刻(Soziale Plastik)」という概念を中心に据えた思想家でもある。芸術は美術館の中だけに存在するのではなく、社会そのもの——人間の行為、制度、対話——が彫刻の素材になりうるという考え方だ。変革は「計画して実行するもの」ではなく、「関係の中で形成されるもの」という視点がここに宿っている。
「変革の完成形」という幻想
ジョン・コッター(John Kotter)の「8段階の変革モデル」(1996年)は、組織変革論の最も広く参照される枠組みの一つだ。緊急性の確立から始まり、推進チームの形成、ビジョンの策定、コミュニケーション、短期的成果の創出、定着化——順を追って段階的に変革を進める。
このモデルは変革を「始まりと終わり」のある有限のプロセスとして設計する。最後の段階では「変革を文化に埋め込む」ことで、新しい状態が恒常化する。
しかし実際の組織では、変革に「終わり」があることは稀だ。一つの変革が定着しかけると、次の変革が始まる。外部環境が変わり、組織の課題が変わり、変革の必要性は持続的に生まれ続ける。
パフォーマンスアートの発想からすると、「変革の完成形」を目標にするアプローチそのものを問い直す余地がある。アブラモヴィッチの座り続けるパフォーマンスには「完成」がない。会期中の毎日、それは始まり、その日のうちに終わり、翌日また始まる。変革が「プロジェクト」ではなく「実践の継続」であるとしたら、何が変わるか。
プロセスに身を置くとはどういうことか
パフォーマンスアートから組織変革への示唆を、三つの観点で整理する。
観点1:存在することを変革の一部にする
アブラモヴィッチがMoMAのアトリウムで座り続けたことは、「するべきことをした」のではない。「いること」を選び続けた。
組織変革においても、リーダーが変革の現場に「いること」の密度が問われる場面がある。変革のコミュニケーションプランを上から送り出す側にいるか、それとも変革が起きている現場に実際に身を置くか——この違いが、計画の精度より実質的な影響を生む場面は少なくない。
観点2:対話の不確実性を受け入れる
ボイスはコヨーテと「どんな関係になるか」を事前に設計しなかった。結果を制御しようとせず、展開に応じた。
変革推進において、すべての「抵抗」を想定し、対処戦略を事前設計するアプローチは、しかし往々にして実際の対話を形式的なものにする。相手の反応を既知のカテゴリに分類し、準備した答えを返すとき、本当の対話は起きていない。「何が起きるか分からない」という不確実性をそのまま持ち込むとき、対話の深度は変わる。
観点3:変革の「痕跡」を残す
パフォーマンスアートは多くの場合、記録(写真・映像・証言)によってのみ存在し続ける。作品自体は時間の中で消え、しかしそれを経験した人の中に何かが残る。
組織変革の「痕跡」は、変革後の制度や仕組みにあるのではなく、変革を経験した人々の行動様式や問いの立て方の中に宿ることが多い。変革を評価するとき、「新しい仕組みが導入されたか」より「人々の問いが変わったか」を見ることが、パフォーマンスアート的な観点だ。
変革は「設計される」か「経験される」か
組織変革論は長年、変革を「設計し、実行し、定着させる」という枠組みで発展してきた。この枠組みは有効であり、そこで得られた知見は実践的だ。
しかしパフォーマンスアートは、その枠組みに収まらない変革の側面を可視化する。変革は設計されるだけでなく、経験されることで起きる。設計図が正確でも、プロセスに誰も「いない」なら、変革の深度は浅くなる。
アブラモヴィッチが座り続けた場所に、何千人もの来館者が自ら椅子に座りに来た理由は、何かに「向き合うこと」への欲求があったからかもしれない。組織変革においても、人々が「向き合いに来る」場を作ることができるかどうか——それはロードマップの精度の問題ではなく、「プロセスに身を置く」設計の問題だ。
読者に持ち帰る問い
あなたが関わっている変革において、今最もプロセスが「起きている」場所はどこか。そこに、実際に身を置いている時間はどれくらいあるか。
変革を「設計して送り出す」ことと「プロセスに身を置く」ことの比率——この問いを立てることで、変革の実践のどこに注意を向けるべきかが変わるかもしれない。
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参考文献
- Abramović, M. (2010). The Artist is Present [Performance]. Museum of Modern Art (MoMA), New York, March 9 – May 31, 2010. — MoMA史上最長のパフォーマンスの一つ。736時間30分にわたり、アブラモヴィッチが来館者と無言で向き合い続けた。
- Beuys, J. (1974). I Like America and America Likes Me [Performance]. René Block Gallery, New York, May 23–25, 1974. — コヨーテとの3日間を共に過ごしたアクション。「社会的彫刻」概念を体現したパフォーマンスとして記録されている。
- Kotter, J. P. (1996). Leading Change. Harvard Business School Press. — 組織変革の8段階モデルを提示した経営学の基本文献。変革を「有限なプロジェクト」として設計する枠組みを体系化した。
- Beuys, J. (概念). Soziale Plastik (Social Sculpture). — ボイスが提唱した概念。芸術を美術館の外に拡張し、社会そのもの・人間の行為・対話を「彫刻の素材」として捉える思想的枠組み。
- Stiles, K., & Selz, P. (Eds.). (1996). Theories and Documents of Contemporary Art: A Sourcebook of Artists’ Writings. University of California Press. — パフォーマンスアートの思想的背景を理解するための一次資料集。ボイス・アブラモヴィッチを含む多数のアーティストの著作・発言を収録。