「見えないものを見る」訓練——アーティストの観察力を身につける
アート思考の実践的手法「見えないものを見る」訓練。観察力を高め、当たり前の風景から新しい意味を発見する方法。
アーティストは、一般の人が見過ごすものの中に意味を見出す「目」を持っています。この観察力は、生まれ持った才能ではなく、訓練によって誰でも身につけることができます。
アート思考のワークショップで参加者が最初に戸惑うのは、「見る」という行為の難しさです。「何が見えますか」と問われると、多くの人は対象物の名前を答えます。「椅子」「窓」「植物」。しかしアーティストは、名前ではなく現象を見ます。光の当たり具合、影の形、素材の質感——そうした「名前のつかないもの」を見る練習が、この訓練の核心です。
なぜ「見えない」のか
私たちが日常で「見ている」と思っているものは、実は脳が効率化のためにフィルタリングした情報です。脳は生存に必要な情報を優先的に処理し、それ以外は「見えているのに意識に上らない」状態にしています。
アーティストの観察力とは、このフィルターを意識的に外し、世界を「あるがまま」に見る能力です。
訓練法1:コンタードローイング
対象物を見ながら、手元を見ずに線を描く手法です。正確に描くことが目的ではなく、対象をじっくり観察する習慣を身につけることが目的です。
やり方
- 対象物(手、植物、日用品など)を目の前に置く
- ペンを紙に置いたら、手元を見ない
- 対象物の輪郭を目でなぞりながら、同じ速度で手を動かす
- 5-10分間、集中して描き続ける
訓練法2:フレーミング
手で四角い枠を作り、日常の風景を「切り取って」見る訓練です。
写真家やアーティストが「構図」を考えるときに行う行為ですが、これを日常で意識的に行うことで、普段は背景として見過ごしている場面に新たな意味を見出すことができます。
訓練法3:異化(デファミリアリゼーション)
文学理論の「異化効果」を観察に応用します。当たり前に思っているものを「初めて見るもの」として捉え直す訓練です。
例えば、毎日使っているスマートフォンを「初めて見る人」の目で観察すると何が見えるでしょうか。ガラスの板に光る記号が並び、指で触ると反応する——そう捉え直すだけで、新しい問いが生まれます。
日常での実践
- 通勤路を意識的に変えてみる
- 同じ場所を異なる時間帯に訪れる
- 「なぜこうなっているのだろう?」と問いかける習慣をつける
- 観察したことをスケッチや短いメモで記録する
まとめ
「見えないものを見る」力は、アート思考の基礎です。日常の中で観察の訓練を続けることで、誰もが新しい視点を獲得できます。
この観察力をビジネスの現場に活かす方法については観察力というビジネススキルで詳しく解説しています。また、見慣れたものを意図的に「見慣れないもの」として捉え直す異化(デファミリアリゼーション)は、この訓練の理論的な基盤です。
参考文献
- Edwards, B. (1979). Drawing on the Right Side of the Brain. J. P. Tarcher. — コンタードローイングを含む観察力訓練の古典的テキスト(邦訳:ベティ・エドワーズ著、北村孝一訳『脳の右側で描け』エルテ出版)
- 末永幸歩(2020)『13歳からのアート思考』ダイヤモンド社 — アーティストの観察的思考プロセスを具体的な作品を通じて解説
- Shklovsky, V. (1917). Art as Technique. In L. T. Lemon & M. J. Reis (Eds.), Russian Formalist Criticism (pp. 3–24). University of Nebraska Press. — 異化(デファミリアリゼーション)の概念を提唱した原典論文
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