ウィリアム・ケントリッジの「消すこと」——試行錯誤の痕跡をどう設計するか
ケントリッジは同じ紙の上にチャコールで描き、消し、また描く。完成したアニメーションには消えかけた線の痕跡が混在する。この「消すことも描くことだ」という方法論は、組織の意思決定プロセス設計に深い示唆を持つ。
「消すことも描くことだ」——そう言い切る現代アーティストがいる。
南アフリカのウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge、1955年–)は、同一の紙の上でチャコールを描き、部分的に消し、また描き直すという方法でアニメーション映像を制作する。完成した作品には、消えかけた線の痕跡、上書きされた形、前の状態の残像が混在する。これは技法の選択ではなく、思想の表明だ。
「Drawings for Projection」——同じ紙が積み上げる時間
ケントリッジが1989年から2003年にかけて制作した「9 Drawings for Projection(プロジェクションのためのドローイング)」は、9本の短編アニメーション映像からなるシリーズだ。
通常のアニメーションは各コマに別々の紙を使う。ケントリッジは逆を行った。同じ1枚の紙の上に描き、フィルムに収め、一部を消して変化を加え、また撮影する。このプロセスを繰り返すことで映像を構成する。1コマあたりの変化には4分の1秒から2秒が与えられ、1枚の紙がシーンの終わりまで使い続けられる。
結果として映像の中には時間の地層が堆積する。今描かれている形の下に、消えかけた以前の形が透けて見える。完成形だけが残る従来の制作物と根本的に異なるのは、変化の軌跡が作品の一部になっているという点だ。
ソーホーとフェリックス——組織内の二つの声
「Drawings for Projection」には、繰り返し登場する二人の人物がいる。
ソーホー・エクシュタイン——ヨハネスブルグの鉱業資本家・不動産開発業者。縞のスーツを着込み、電話を握り、地図に所有地を書き込む。効率と拡大を志向する人物だ。フェリックス・テイトルボーム——夢想家で内省的な男。裸で世界を観察し、ソーホーの妻と恋に落ちる。問い続けることを止めない人物だ。
この二人はもともと「お互いのアルターエゴ」として設定されたとケントリッジは語る。加速する経済と忘却の圧力に乗るソーホーと、それに問いを向け続けるフェリックス——二つの声の往還がシリーズの根幹をなす。
ビジネスの文脈で見ると、この構造は一つの組織の内部にも存在する。「早く決めて進める声」と「問いを保持し続ける声」——この二つを共存させる設計を持てているかどうかが、組織の思考の質を決める。
アンビギュイティ・トレランス(曖昧耐性)の概念でも同様のことが語られる。答えを出すことへの圧力と、問いを手放さない意志の間の緊張は、ケントリッジが絵として可視化した同じ構造だ。
「痕跡」を組織設計に使う
ケントリッジの方法論から引き出せるビジネス上の問いは、主に三つある。
試行錯誤の跡は残っているか
多くの組織では、意思決定の記録は「正解に至った論理」として整理される。どの仮説を立て、どこで方針を変え、何を棄てたか——その過程の痕跡は消える。プロジェクト資料は「成功の連鎖」として編集され、失敗と撤回の軌跡は残らない。
しかしケントリッジの映像が証明するのは、消えかけた線にこそ情報が宿るという逆説だ。方針変更の背景、棄てた仮説の根拠、試みた後に諦めた道——これらの痕跡が失われると、同じ失敗が別のチームで繰り返されやすくなる。
組織の「知的誠実さ」は、成功した意思決定の整理だけで保てるものではない。
「同じ紙の上で描き直す」という設計
ゼロベースでやり直すことと、以前の試みを起点として次を生むことは異なる。ケントリッジが同じ紙を使い続けるように、前の試みの形跡の上に次の思考を重ねることで初めて見えてくるものがある。
アジャイル開発のスプリント、デザイン思考のプロトタイプの反復——別の言語でケントリッジと同じ原理を実践しているように見えるが、「前の状態が透けて見える」という要件を持つ設計はまだ少ない。「前の試みが見える状態で次の試みを積み上げる」という設計は、組織の集合的学習の構造と直結する。
「スクリプトなし」の探索期を設ける
「Drawings for Projection」の制作原則は「スクリプトなし、絵コンテなし」だとケントリッジは語った。制作の過程が作品の発見そのものだという確信があった。
これはビジネスの文脈でも問い直せる。新規事業やイノベーションプロセスにおいて、「仮説を決めてから動く」というモデルが支配的だ。しかし最初から結論の形が見えている探索は、発見の余地が狭い。「何が出てくるかを見るための時間」を設計のどこかに置けているか——ケントリッジの問いはここに突き刺さる。
この論点はネガティブ・ケイパビリティの実践とも重なる。答えに飛びつかず、不確かさの中に留まる能力は、消えかけた線を許容したまま描き続けるケントリッジの姿勢と本質的に同じ構造だ。
アパルトヘイト後のヨハネスブルグという文脈
ケントリッジの映像を見るとき、もう一つ忘れてはならないのが、南アフリカという地政学的文脈だ。
父のシドニー・ケントリッジはアパルトヘイト体制に抵抗した著名な弁護士だった。ウィリアム・ケントリッジ自身は、アパルトヘイト後のヨハネスブルグで「加害者でも被害者でもない、傍観者としての白人」という立場を問い続けた。消えかけた線が残る映像は、「なかったことにしたい歴史と、なかったことにできない歴史」の両方を一枚の紙の上に同居させる行為だ。
ビジネスの文脈では、組織の「歴史の扱い方」という問いに変換できる。過去の判断ミス、終わった事業、解決しなかった問題——これらをどう「記憶するか」が、組織の誠実さと知的成熟度を示す。
アート思考と組織文化の関係の核心には、この「過去をどう抱えるか」という問いがある。
今も問い続けるアーティスト
ケントリッジは2010年に京都賞、2017年にプリンセサ・デ・アストゥリアス賞、2019年にプレミアム・インペリアーレ賞を受賞し、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でのオペラ演出も手がける多面的な活動を展開している。近年もロイヤル・アカデミー(2022年)、ヒューストン美術館(2023年)で大規模な回顧展が開催された。
しかし作品の核にあるのは、1989年から変わらない問いだ。「消えた跡は見えているか。前の試みの上に立っているか。スクリプトのない時間を持てているか」——これらは、70年以上生きてきたアーティストが制作を通じて問い続けてきたことであり、今日の組織論とも交差する。
参考文献
- Kentridge, W. (1989–2003). 9 Drawings for Projection. 映像シリーズ。Marian Goodman Gallery取り扱い — 代表的映像シリーズ、ソーホーとフェリックスのキャラクターが登場
- Wikipedia: William Kentridge — 生年・学歴・受賞歴・制作技法の基本事実確認
- Kentridge Studio: Drawings for Projection — 制作原則「スクリプトなし・絵コンテなし」のステートメント
- Art21: William Kentridge — アーティスト本人の語りによる制作思想
- The Broad Museum: William Kentridge Bio — 主要展覧会記録